BlogDelKotaro

30代前半都内ベンチャー人のライフログ。基本青い。最近は経営のことが多いかも。
25歳から仕事、映画、旅、写真、二日酔いなどの独り言を雑多に残し続けてます。
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納骨ダブルヘッダー


日中の残暑はまだまだだが、朝晩の空気は幾分すずしくなった
この土曜、ダブルヘッダーで納骨をするという珍しい一日だった。

祖母と祖母の兄弟。

黒服が冬物しかなかったので暑さにひーひーいいつつの炎天下と
室内を行き来して、霊園を移動し、なまぐさ(かは分からないが)
坊主のお経やありがたい話を聞いたりしながら、ぐるぐる考え
させられた。

僕の家は、岡山に墓地があるんだけど、今回墓地を調布に新設。
2010年5月に亡くなった祖母(個人的には二日酔い葬儀の記憶)も
ようやく落ち着くことができ、安堵。
これまでずっと、実家のリビングに骨があったので(笑)
そして、順当に行けば、自分も入る可能性高し。


んで、墓って何だろう、って考えてた。

宗教とか哲学にここで切り込むような高尚なことは全く言えないんだけど、
少なくとも自分にとっては、墓は死者のためのものじゃなくて、
遺族のためのものなのかもな、と強く思った。
故人の魂のことだけを思って安らかにそこで眠って欲しいのではなく、
実際には現世を生きる家族や友人にとって、意識の置きどころみたいな
ものが必要で、そのひとつが墓なんだと思う。

坊主が、きょうその事について触れてた。
人間は自己中心であり、例えば大切な人が亡くなったときに
多くが涙を流すが、それはその人自体のことを悲しんでいるのではなく、
その人を失った自分自身を悲しんでいる側面がある。
個人を偲び、供養し、お経を繰り返し唱えることは、
故人から学ぶためのものであり、自己中心的な自分を認識し、
より豊かな生を送るための、反復の意味がある、とのこと。
故人の魂は、遺された者の心の中にある、みたいなことも
文脈上、仰っていた。

つまりは、墓に魂を放り込むわけではなく、魂が遺された者の
心の中にあり続けるため、ある意味でのシンボルのような
存在なんだと解釈し、200年後ぐらいの自分は墓にいるわけじゃ
ないんだと思うと、なんか楽になった気がした。
同時に、墓を馴染みのある土地に新設できたことに対して、
初めて安心感を覚えた。


取り留めがなくなってきたけど、何がいいたいかと言うと、
自分も、後世に魂として在り続けられるよう、生を全うしたいなと。
死して影響力を持つ悪しき遺産でなく、善き余韻として。

以上、
人生の段階的にまだ考えたことのない要素に対する、低級な思考録。
10年後ぐらいに読み返したら笑うのかも知れないけど、それもよし。


あ、写真は、きょう全て終わったときに出てた、調布の虹の記憶。
独り言 マジメ目 | 02:06 | comments(0)









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